奇跡の一本松
そんな陸前高田にもう一度なれるよう…
髙惣建設は全力でサポートします
- 当時の髙惣建設株式会社
高田営業所 - 髙惣建設株式会社高田営業所被災
平成23年3月
昭和43年に陸前高田市に作業所を開設し、昭和47年竹駒町に出張所を建設。
当時の気仙地区は舗装工事を担う会社が少なく、本社からの出向と地元社員を雇用し、地域の生活向上のため道路舗装工事に尽力を注いだ。
出張所を竹駒町に決めた理由のひとつには、先代の惣吉が北上川沿いに当時住んでいたため、川の氾濫を幾度も経験し、水の怖さを知っていたため、出張所の建設を陸前高田市の市街地ではなく、海から離れた住田町寄りの竹駒町を選んだ。
2011年3月11日の東日本大震災を迎えるまで、既に40年を越える年月が過ぎていた。
当時の気仙地区は舗装工事を担う会社が少なく、本社からの出向と地元社員を雇用し、地域の生活向上のため道路舗装工事に尽力を注いだ。
出張所を竹駒町に決めた理由のひとつには、先代の惣吉が北上川沿いに当時住んでいたため、川の氾濫を幾度も経験し、水の怖さを知っていたため、出張所の建設を陸前高田市の市街地ではなく、海から離れた住田町寄りの竹駒町を選んだ。
2011年3月11日の東日本大震災を迎えるまで、既に40年を越える年月が過ぎていた。
●2011年3月11日。(東日本大震災の当日)
大きな地震のあと、黒い噴煙を巻き上げながら襲ってくる津波。まさか竹駒まで被災に見舞われるとは・・。このような状況の中で営業所の所長や現場担当者の的確な指示と判断のおかげで、奇跡的に社員の命を守ることは出来たが、高田営業所内での安否が確認出来るまでにも、かなりの時を要した。
営業所の建物や重機も、社員の車もすべてが跡形も無く流され、数百メートル先の河川敷に落とされ、すべてを失った。
但し、この時点では陸前高田営業所の被災状況を本社では把握出来ていない。安否確認が出来たのは翌日の昼過ぎであった。
※本社では支店や営業所、各現場の安否確認や被災確認、緊急時対応による○○建物の被災確認などに奔走しながら、建設業協会の災害協定に基づき奥州市内のパトロールを実施。本社付近でも大渋滞が発生し、安全確保のため手信号での誘導も実施。
大きな地震のあと、黒い噴煙を巻き上げながら襲ってくる津波。まさか竹駒まで被災に見舞われるとは・・。このような状況の中で営業所の所長や現場担当者の的確な指示と判断のおかげで、奇跡的に社員の命を守ることは出来たが、高田営業所内での安否が確認出来るまでにも、かなりの時を要した。
営業所の建物や重機も、社員の車もすべてが跡形も無く流され、数百メートル先の河川敷に落とされ、すべてを失った。
但し、この時点では陸前高田営業所の被災状況を本社では把握出来ていない。安否確認が出来たのは翌日の昼過ぎであった。
※本社では支店や営業所、各現場の安否確認や被災確認、緊急時対応による○○建物の被災確認などに奔走しながら、建設業協会の災害協定に基づき奥州市内のパトロールを実施。本社付近でも大渋滞が発生し、安全確保のため手信号での誘導も実施。
●2011年3月12日(東日本大震災の翌日)
まだ高田営業所の状況が確認できない中、住田の現場担当者から高田に向かいたいとの連絡があり、みんなの思いを背負い一路高田へ。道なき道を通り抜け、偶然に所長と再会。所長から安否報告と依頼を受ける。依頼内容は、残った僅かな重機を駆使し高田方面から啓開作業を行うので、本社での住田方面からの啓開作業の依頼であった。
依頼を受けた社員の報告を受け、重機の段取りや人員の体制を整え明朝の出発準備へ。いまだ余震は続いていた。
まだ高田営業所の状況が確認できない中、住田の現場担当者から高田に向かいたいとの連絡があり、みんなの思いを背負い一路高田へ。道なき道を通り抜け、偶然に所長と再会。所長から安否報告と依頼を受ける。依頼内容は、残った僅かな重機を駆使し高田方面から啓開作業を行うので、本社での住田方面からの啓開作業の依頼であった。
依頼を受けた社員の報告を受け、重機の段取りや人員の体制を整え明朝の出発準備へ。いまだ余震は続いていた。
●2011年3月13日(東日本大震災の翌々日)
〜陸前高田の救援へ、命の道を切り拓く〜
陸前高田を救うため、営業所の仲間を救うため、余震は続いていたが啓開作業をするため重機をトレーラーに乗せ、いざ出発。
協力業者がこの情報を聞きつけて重機修理が出来る車両ドッグを準備してくれた。日頃お世話になっている方が、軽油をドラム缶で提供してくれた。本社の社員のみんなが、衣類や毛布などをかき集めて用意してくれた。
会長と社長が、早起きして握ったおにぎりを持たせてくれた。
みんなの思いを乗せ、高田に向かう社員
〜陸前高田の救援へ、命の道を切り拓く〜
陸前高田を救うため、営業所の仲間を救うため、余震は続いていたが啓開作業をするため重機をトレーラーに乗せ、いざ出発。
協力業者がこの情報を聞きつけて重機修理が出来る車両ドッグを準備してくれた。日頃お世話になっている方が、軽油をドラム缶で提供してくれた。本社の社員のみんなが、衣類や毛布などをかき集めて用意してくれた。
会長と社長が、早起きして握ったおにぎりを持たせてくれた。
みんなの思いを乗せ、高田に向かう社員
~困難な作業。使命感に支えられ、体を張り、考えられる全てを~
●消防団や警察や自衛隊と協力しながら、人命救助と通路確保のために啓開活動。
●行き交う人へ声がけをして、名簿を作成。奥州FMでの情報発信をしていただいた。
●奥州市水沢の駅通商店街や横町商店街にお願いし、衣類等を提供していただいた。
●お世話になっている企業から、薬剤等を提供していただいた。
●お世話になっている方々から、衣類や自転車等を提供していただいた。
●お世話になっている企業から、支援活動のための給油を優先していただいた。
陸前高田市の地元建設会社から声をかけてもらい、思いをひとつに一緒に作業。
※本社から高田営業所の社員と家族のために、食料と生活物資を送り続けていたが、営業所の社員の自立を図るため、所長から4月末で終えたいとの申し入れがある。甘えを絶ち、この状況で乗り越える強い意志を感じた瞬間に…。
津波の被害に会った場所で、約3年間仮設事務所を建て普及活動をしていましたが、復興道路計画により永らくお世話を頂いた場所を去ることになりました。移転先は、幸いにも同じ竹駒の地でお世話になることが出来、営業所・倉庫そして宿泊施設を新設。陸前高田の一助になるための準備を完了し、高田営業所の新たなスタートに!
新設された高田営業所- 倉庫
- 職員宿舎
- 広田漁港漁港機能復旧(用地その4)工事(発注者:岩手県)
- 広田漁港海岸災害復旧(23災県第522号)その1工事(発注者:岩手県)
- 相川地区橋梁下部工工事(発注者:国土交通省)
- 防災集団移転促進事業茂里花住宅団地整備工事(発注者:陸前高田市)
- 防災集団移転促進事業新田住宅団地整備工事(発注者:陸前高田市)
- 災害公営住宅 下和野地区(陸前高田市)
- 災害公営住宅 水上地区(陸前高田市)
- 地方卸売市場大船渡青果市場株式会社(大船渡市)
- 陸前高田市ライスセンター(陸前高田市)
震災後の復興関連工事